2017/04/01
歩きスマホの影響で、前を見ないで歩いている人、道の真ん中に立ち止まって画面を見ている人
など、迷惑だったり危険だったりする人々が、街中に溢れる時代になりました。
文字通り、自分の「立ち位置」がわかっていないわけですね。
こういう行動習慣が、人間の生態に影響を及ぼすということはないのでしょうか?
つまり、歩きスマホを日常的に行っている人は、「人間関係」のなかでも自分の立ち位置がわからなく
なって、コミュニケーション不全になっちゃうんじゃないか…と心配するわけです。
いや、待てよ!?
元々人との関係性の中で周囲への配慮が苦手で、コミュニケーション下手な人ほどスマホ依存だから、
それで歩きスマホを頻繁にしてしまうということなのかも…。
「自分の立ち位置の確認」というのは、理屈ではなく、自分がどこに立っているかがわからないと
居心地が悪いという「感覚」の側面も大きい気がします。
スーパーの通路で邪魔になっていても、平気でおしゃべりに興じることができる人は、たぶん「邪魔に
なっていること」がわかっていないか、わかっていても周りの視線が気にならないでいられるかの
どちらかなのかもしれません。でも、往々にしてご年配のかたの方がその傾向が強いですよね。
ということは、歩きスマホの若者とスーパーの通路で邪魔になりながらおしゃべりするおばちゃんは、
ともに「立ち位置がわからない人」という点では同じ属性の人ということがいえますよね。
など、迷惑だったり危険だったりする人々が、街中に溢れる時代になりました。
文字通り、自分の「立ち位置」がわかっていないわけですね。
こういう行動習慣が、人間の生態に影響を及ぼすということはないのでしょうか?
つまり、歩きスマホを日常的に行っている人は、「人間関係」のなかでも自分の立ち位置がわからなく
なって、コミュニケーション不全になっちゃうんじゃないか…と心配するわけです。
いや、待てよ!?
元々人との関係性の中で周囲への配慮が苦手で、コミュニケーション下手な人ほどスマホ依存だから、
それで歩きスマホを頻繁にしてしまうということなのかも…。
「自分の立ち位置の確認」というのは、理屈ではなく、自分がどこに立っているかがわからないと
居心地が悪いという「感覚」の側面も大きい気がします。
スーパーの通路で邪魔になっていても、平気でおしゃべりに興じることができる人は、たぶん「邪魔に
なっていること」がわかっていないか、わかっていても周りの視線が気にならないでいられるかの
どちらかなのかもしれません。でも、往々にしてご年配のかたの方がその傾向が強いですよね。
ということは、歩きスマホの若者とスーパーの通路で邪魔になりながらおしゃべりするおばちゃんは、
ともに「立ち位置がわからない人」という点では同じ属性の人ということがいえますよね。